盆踊りの踊り方
盆踊りは800年以上もの長い歴史に支えられた、日本の芸能の中で最も格の高い伝統的な芸能です。技術よりも神仏に捧げる謙虚純白なる気持ちで明るく踊ることが大切です。無駄のない動きで自然かつ素朴な踊り方で盆踊りを楽しみましょう。ここでは「もう少し深く学びたい」と興味を持った方に向けて基礎を簡潔にレクチャーします。
何を踊るのか
日本の踊りはダンスとは異なり、「詞を伝える」ために踊ります。詞には作家の心情や信念が込められています。そして、その作家の根底には生きてきた文化や歴史が刻み込まれています。詞を音楽と言う容器に包んだものが歌であり、それを表現するのが踊りです。曲のリズムに乗せて身体を動かすのではなく、あくまで表現する中心は詞なのです。
「日本古来の踊り方」と「江戸の踊り方」
日本の伝統的な舞踊は元々奉納舞踊でしたが、江戸時代に娯楽性(装飾)の強い舞台舞踊として歌舞伎や日本舞踊などの商用芸が流行り、時代が下るにつれ、差別化のための装飾が強くなっていきました。
※ 舞踊だけではなく、日本藝能において江戸時代は封建的風習が極めて強く他の時代と系統が異なるため「日本文化」と「江戸文化」は区別します。日本舞踊の上手いところは「江戸舞踊」ではなく「日本舞踊」と言う名称を使ったことです。
踊り方の基礎
- 基本の姿勢
まず胸を張って、みぞおちに紐がついていて、斜め上に引っ張られるようにします。次に重心を落とし「丹田(おへその下の辺り)」で上半身を支えます。
- 盆踊りの基本は「ゆっくりと止まる」
踊りの基本は書道と同じです。手首は力を入れず固定し腕を動かします。スーと均等に伸ばし、ゆっくりと止まります。決して大きく動かそうとせず、頭の上に何か載せているように頭部を固定して踊ります。
※ 以前は伝統的な「トン・スー・トン」と言う用語で教えていましたが、これはゆったりと取り組む気構え・呼吸を表しています。しかし、現在では「勢いよくはじめ、速く動かし、勢いよく止まる」と、本来とは正反対に受け取られる誤解が多いため表現を改めました。
- 視界の中に納める
ダンスと異なり、和装は目一杯動くと美しくありません。目安として、視界の範囲内で所作をするようにすると良いでしょう。
<振りのフライングに注意>
近年、振りのフライング(四分音符が八分音符+八分休符やスタッカートになっている)が非常に多いです。
※例えば、「チョチョンがチョン」も最初の「チョチョンが」は早間ですが、最後の「チョン」はきちんと一拍とりましょう。また、振りも一拍のところが半拍で次の振りにフライングしていることが多く見受けられます。
歌を覚えて、歌に踊りを合わせるようにすると自然と拍に合うようになります。
また、ダンスの強弱(ストレス)アクセントに対し、日本の曲は高低(ピッチ)アクセントで踊る点も意識すると良いでしょう。
「粋な踊り」と「野暮な踊り」
「粋な踊り」とは「その場に調和する自然な踊り」であり、「野暮な踊り」とは「独り善がりの踊り(わざとらしい不自然な踊り)」です。
※ 服装のオシャレと同じ
オシャレとは、「その場に調和する自然な格好」の中にあります。
粋な踊り方とは
少し慣れてくると、驕りが生まれ目立とうとしがちですが、それは野暮な踊りです。目立とうとする私欲を消し、神仏に捧げるような潔白なる気持ちが大切です。
以下の点に気を付けて粋に踊ってみましょう。気を付けたいのは「余計な動きをしない」「きちんと止まる」「手首だけで踊らない」の3点です。
- 無駄の無い動き
余計な勢いをつけないこと。無駄が多いと野暮に見えます。手首をグニャグニャさせたタコ入道や、力んでカクカクしたロボットダンスは野暮な踊りの典型例です。
「視点転換は最低限に」
自分の手ばかりを見るのは「私の手、綺麗・・・」と言う自惚れ踊りになってしまうので注意してください。
- しっかり止まり余韻を残す
「日本の美」は「動」ではなく「静」にあります。次の所作への勢いをつけてしまったり、力を入れてしまったり、余計な動きを入れてしまうのは逆効果です。無駄な動きを削ぎ落とし、その分、「静」に意識を向ければ、格段に美しくなります。
「静」が最も大切で、「静」を引き立てるために動くと言っても過言ではありません。「静」は動きを止めるだけで良く、余計な所作は不要です。
重要 「美しさ」とは動きではなく余韻。
- 「肘から指先まで」を意識
手首だけ動かすのはNG(歌で例えると「咽だけで声を出している状態」)です。手首だけではなく、肘から袖、指先までの全体で踊りましょう(歌で例えると「お腹から声を出している状態」)。袖から手首だけが見えるので、素人目には手首だけを捻っているように見えるかもしれませんが、肘から指先まで(肘から団扇の先端まで)全体を意識します。 但し、決して大きく動かすわけではありません。「腕全体で」「小さく」「ゆっくりと」踊ります。
盆踊りの歴史
盆踊りの元祖は古代神事に遡り、神に祷りを捧げる巫女舞や白拍子が起源です。800年以上もの長い歴史に支えられた、日本の舞踊芸能の中で最も格の高い伝統奉納舞踊です。
このような高尚な奉納舞踊が一般民衆にも下向し、盂蘭盆に、霊魂を迎え、死者を供養するための行事として、主に新仏教が栄えた鎌倉時代に一気に広まりました。その後、自らの極楽往生を願って陽気に明るく踊るようになります。
ところで、歌舞伎の語源である「かぶく」とは、「常識外れの」「異様な風体の」と言う意味であり、出雲阿国が男装をして念仏踊をしたところから始まりました(阿国歌舞伎)。そうです! 歌舞伎の起源も盆踊りなのです。男装をして踊る姿は当時としては奇妙であり、「異様な踊り=歌舞伎踊り」と言う名称で呼ばれました。歌舞伎踊りは若い遊女が踊り、寛永期に流行します。しかし、遊女歌舞伎は売春を目的として公演されたため、風俗が乱れると幕府により禁止されました。次に美男子の歌舞伎(若衆歌舞伎)が流行しましたが、こちらも売春が蔓延したため禁止となります。女性は禁止、若い男子も禁止となったため、現在の中年男性が演じる型(野郎歌舞伎)が定着、と言う変遷を歌舞伎は辿りました。
盆踊りで運気上昇!
古くは神仏に捧げ、霊魂を迎えるところに端を発していることから、盆踊りは「幸運を招く」とも言われています。盆踊りに招かれる霊魂は、幸運をもたらす善霊であり、逆に、暗くて陰気な悪霊は太鼓や鳴り物の音に逃げ出してしまいます。「鬼は外、福は内」は節分の時の決まり文句ですが、同様の効能が盆踊りにもあります。盆踊りを踊って、運気を上昇させましょう!
踊りを取り巻く基本構造
一つ一つの楽曲には意味があり、作家や郷土の魂が込められています。例えば踊りの振りには一つ一つに意味があります。奇想天外盆踊りでJ-popの曲に民謡の振付をそのまま当てて踊ったりしているところもあるようですが、センスが悪いと言う以前に著作権や創作と盗作の区別の点で、ダンスなど他ジャンルの芸能から酷く軽蔑されています。
できれば、振りのマニュアルをただ覚えるだけではなく、歌詞、メロディ、心情、背景、由来、歴史など、日本文化としての人文科学の観点から、きちんと解釈をしてみましょう。
盆踊りで使用される楽曲は、永く日本人に愛され続けてきた和の旋律で構成されています。また、一つ一つの所作に関しても美しい日本人の姿を表したものばかりです。
リズム、節回し、メロディ、所作・・・全ての中に、和の伝統が生きています。皆で踊る3分間のドラマの中には、日本人としての悦びや哀しみ、喜怒哀楽が凝縮されているのです。盆踊りに参加することで、心の奥底に隠れていた、日本人としての「本来の自分」に出逢えるかもしれません。
踊りとは、歴史や文化によって形成された、人間の心情の発露であるため、踊りと言う表層部を支える、目に見えない深層部に焦点をあてると、面白さが倍増します☆そして盆踊りは大衆文化として発展してきたため、積年の人類の営みが凝縮されています。日本人とは何か、人間とは如何なる存在か、そして自分は如何にして生きるべきか、など様々なヒントが隠されています。
循環をあらわす盆踊り
櫓を中心に円になって、同じ場所をグルグル廻ります。また、振り付けも一連の所作の繰り返しで、グルグル廻ります。つまりA→B→C→D→A→B→C→D→A→B→・・・複素平面での回転を彷彿とさせる美しさがありますよね。
ところで盆踊りは、神事に加え仏教の流れも汲んでいます。仏教の教えは、転生輪廻、因果応報、と、基本的にはグルグル循環いたします。思えば、地球の軌道は循環し、一年の四季も循環し、一週間は循環し、一日は循環します。知らず知らずのうちに、人は皆、「循環」の中を生きているのかもしれません。
盆踊りの発展と衰退
盆踊り(民族舞踊)を民謡踊りと混同している人が多いですが、盆踊りは直接民謡から生まれたものではありません。盆踊りは、レコードの普及、歌謡曲や演歌の流行とともに日本全国に凄まじい勢いで発展しました。これらの文化は総じて民踊(みんよう)と表されます。そして、各郷土に根差した盆踊りとして、地元に伝わる民謡に注目し、それを盆踊りに合った歌謡曲風に直して普及させました。これらは時に新民謡などと民謡と区別されることがありますが、古くからの民謡を題材にした曲も、盆踊りとして普及したのは歌謡曲調に改めたものです。
しかし、盆踊りや演歌の発展があまりに急速で甚大だったこともあり、残念ながら流行の中心は意図的にJ-POPなどに置き換えられていき、演歌や盆踊り文化は急速に衰退していきました。但し、形は違えどその失われた気品や煌びやかな文化は、同じく近代から花開き大成功を収めた舞台藝能などの中に永く生き続けています。また、これらの影響を受けて民謡を舞台で踊る民舞と言うジャンルも後に出現しました。さらに近年では、洋楽やDJを盆踊りと題して実施するケースが増えてきています。国の伝統文化行事を外国の音楽で面白半分にふざけるのは極めて低俗な行為であり、このような民度の低さこそ盆踊りが文化人から卑下されてきた理由です。これらは、日本の文化を壊し外国のものに置き換えようとする隷属主義の一種ですが、私たちは王道の盆踊り団体として、日本の盆踊りの良さを多くの人に伝え、日本の盆踊りをしっかりと担っていきます。
盆踊りにおける「ハレとケ」
日本には昔からハレとケを分ける文化があります。ハレは非日常を表し、改まった型式のことを指します。 一方、ケは日常を表し、普段通りの型式を指します。
多くのお祭りや催しは、その日のために準備をして、衣裳も改めて臨む「ハレの芸能」です。 一方、盆踊りはあくまでも日常の延長、日々の生活の営みから派生したものであり「ケの芸能」です。その意味では、普段着で盆踊りに参加したり、仕事帰りに立ち寄るのも、寧ろ正統的な楽しみ方と言えるかもしれません。
中には盆踊りに泥臭さを感じる方がいるかもしれませんが、それは毎日の日常生活を背負った「生きる泥臭さ」です。また、 思いっきり羽目を外し過ぎている人やふざけて踊っている人に厳しい眼を向けるのも、そこが「日常の場」であるからなのでしょう。大型の盆踊り大会の多くが平日を跨いで(金土など)開催されているのも、「日常の延長」と言う意味合いがあるからなのです。また、一口に盆踊りと言っても、洋楽やDJがただバカ騒ぎをする底辺の盆踊りから、日本の崇高なる文化を受け継ぐ正統派盆踊りまで、様々な次元があります。